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エモーション (バンド) : ミニ英和和英辞書
エモーション (バンド)[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

エモーション (バンド) : ウィキペディア日本語版
エモーション (バンド)[ちょうおん]

エモーション(''Emotion''、1969年 結成 - 1971年 解散)は、かつて存在した日本ロックバンドである。
== 略歴・概要 ==
1969年(昭和44年)4月1日グループ・サウンズの人気バンドザ・ビーバーズ1967年 - 1969年)が解散、ヴォーカルの成田賢、ギターの平井正之が結成したバンドが、エモーションである〔#外部リンク成田賢の公式ブログ内の記述を参照。〕。初期は、東京・永田町のレストラン「パシャクラブ」等で演奏していた〔。
1970年(昭和45年)4月ごろまでには、エムのギタリスト浅野孝已(のちゴダイゴ)が加入しており、東京・新宿ディスコサンダーバード」等で演奏していた〔#外部リンクゴダイゴのファンサイト内の年譜の記述を参照。〕。同年5月9日 - 10日に、東京・日比谷日比谷野外音楽堂で行なわれた「第3回日本ロック・フェスティバル」に、浅野のエム、ゴールデン・カップスとともに出場している〔。このときのメンバーは、平井と成田のほかは、ベースに井筒信雄、ドラムスに元グレープジュースの金沢純(金沢ジュン)であった。同年同月29日には、前述の「サンダーバード」での「サンダーバード・ロック・フェスティバル」に、浅野のエムとともに参加している〔。このときのメンバーは不明。ほかにも、横浜元町のミュージックレストラン「アストロ」〔でも、専属バンド的に演奏しており、アメリカンスクールの学生やアメリカ兵に人気で、アメリカスクールの学園祭でも演奏した〔。
当時のナンバーはカヴァーで、クリームの『''I'm So Glad''』(アルバム『''Goodbye''』所収、1969年)や、ドノヴァンの『''Laleña''』(シングル、1968年)、スキータ・デイヴィスの『この世の果てまで』(''End of the World''、1962年)であった〔。ヴォーカルの成田の人気はすさまじく、「アストロ」のホールの写真パネルや、店頭のブロマイドが何度も盗難に遭ったという〔。「アストロ」での待遇はよく、東京からグリーン車で迎えられ、帰りは東京までタクシーで送られたという〔。
やがて同年中には、レコーディングの話も決まりかけていたが、成田が病気療養(肺結核〔)で1年間の休業に入った〔。その前後に、近田春夫が新たにキーボード奏者として加入、メンバーは、平井、ベースに元ブラインドバード大島勝、ドラムスに金沢、そして近田となった。1971年(昭和46年)には成田が療養から復帰、ソロシンガーになっていくが、当時「ソロシンガーの成田がヴォーカルで参加することもある」という旨の雑誌記事が書かれた〔雑誌名は不明、該当記事は「1971 - 1976年のロック、フォークなどのバンド、グループ 」の「エモーション」の項の画像上の文字から読み取れる。〕。まもなく解散。テレビ出演もなく、音源も残っていない〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エモーション (バンド)」の詳細全文を読む




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